1959年04月03日 長崎県佐世保市出身 両親と8歳離れた妹が一人の四人家族。
幼稚園に上がる前後の私の記憶として、早朝5時~6時頃に一人起きて居間の食卓に座りザラザラの西洋紙に鉛筆を片手に、独り言を発しながら何やら夢中で空想の世界を描いていた記憶がぼんやりとあります。
また、近所の親戚のおばさんに一生懸命に描いた絵を見せては、褒められて得意になり俄然早起きしては絵を描いていました。
よくあるパターンで、体育と図工だけは得意とする落ち着きのないよく忘れ物をする注意力散漫な子供で、よく先生に注意されては一瞬反省するのですが、数分後にはスッキリ忘れている鳥頭の子供でした。
近所の四つ年上の従兄弟ともよく一緒に絵を描いていて、私は将来は絵描きになりたいと話すとその従兄弟は「ムリムリ、絶対無理、絵描きなんかになられんて!」 年上のせいか一般常識に沿った堅実で現実的な意見をしてくれました。
それを聞いてイラっとしながらも、同じ絵を描くにも漫画のようなコマ割りの絵ではなく一枚の絵に全身全霊を込めて描くのが私の絵を描くイメージでしたので、乏しい知識の中で看板描きかなぁとぼんやりと考えていました。
小学校高学年の頃の寒い季節だったので10月〜11月頃に、絵のコンクールで入賞してそれの受賞式出席のために、それに相応しい服装に着替えるため授業途中で帰宅したのですが、生憎と母親が不在だったため焦りまくりとにかく早く学校に戻らないといけないと、
闇雲にレモンイエローの涼しげな半袖のポロシャツに鳥頭を突こんでは一目散に教室へと戻ったところ、あちこちでクスクスと笑い声が。。
先生は苦笑して「高野くん寒うなかね、、?」
鳥頭の少年は授賞式出席の歓喜と疾走して来た息切れとのカオスの真っ只中で「なんで??」。。
勉強嫌いと経済的余裕がないということもあり高校を卒業後、大阪の石油会社に取り敢えず就職し二人相部屋の寮に入り、夜間のデザイン専門学校へ2年間通いました。
就職当初から専門学校を卒業するまでの腰掛けのつもりでしたが、正社員としてスタンドでの仕事が朝5時 〜16時に終わり、
それから夜間の授業に出席して帰宅し風呂と食事をそそくさと終えて課題をこなす生活で、平均睡眠時間2〜3時間の生活を二年間続けました。若いとは言え、2〜3時間の睡眠では昼間の仕事中は睡魔に襲われて大変でした。
車両点検の為に車の下に寝板で潜り込んで、仕事のふりをして瞬間爆睡しては襲いかかる睡魔に悪戦苦闘していました。
また、配達用の軽四輪でバックしてはスタンド内の給油機を4回ほど再起不能にしてしまい、さすがに3回目からは修理代を給料から天引きされる始末で、今から思えば人身事故を起こさなかったのが不幸中の幸い、、振り返ると今だに冷や汗がでます。
専門学校を卒業して、小さなデザイン事務所に就職しましたが、当然ながら自分の夢である絵を描く仕事とは程遠く、
2年程で退職し上京してフリーターをしながら、やっとイラストレーターという夢の一歩に巡り会えたのでした。
しかしその頃のイラストレーションの主流は、山口はるみさんを筆頭にエアブラシで描くスーパーリアルのイラストレーションが隆盛していて、なんの信念もこだわりもない私は目先の流行りに目が眩み、小手先のエアブラシを使ったイラストもどきを悪戦苦闘して必死で描いていました。
なんだかんだしているうちに、イラストレーションの主流はスーパーリアル表現とは真逆の「ヘタうま」のイラストレーションへと様変わり。
おいおいマジでぇ〜、、まだエアブラシにも慣れてないってのに世の中の流行りは素早く、波に乗っていけない不器用な私は、あっという間に置いてけぼりです。
ここでも信念とこだわりのカケラもない私は、またまた流行を追いかけてあっさりとヘタうまの画風に乗り換えようと試みたのですが、、
どうも上手くいかない、こんな絵じゃイラストの仕事をもらえないのじゃないか、このヘタうまブームもあっという間に終わってしまうに違いない(これに限らずブームはいつかは去るものですが・・)なんて、保守派小心者の私は今一歩を踏み出せずに、
優柔不断に足踏みばかりして堅実であろうアカデミックな写実風の絵をシコシコと描いては、不安で腰の落ち着かない日々を過ごしていました。
それでもなんとかイラストレーターになりたいと、その頃代表的なイラストレーションのコンペティション「日本グラフィック展」、
「日本イラストレーション展」、「チョイス」(イラストレーション誌上コンペ)を始め様々なコンペに応募しまくりました。
10年くらい続けて、たまにくるイラストレーションの仕事にはあり付けるようにはなりましたが、フリーター生活からは抜け出す事はできないままで、その頃はもう30代後半40代も目前になっていました。
10年間のコンペへの応募も徐々に遠のいて来た頃、イラストレーター仲間に誘われて装丁家と装画家からなる職能団体の協会に入会しました。
動機は会員になることで装丁家(ブックデザイナー)との人脈を築き、装画の仕事をしたいという下心がありました。
その時期に同じくMacとの出会いもありましたが、全くの未知の代物でとにかく今までが折り紙付きのスーパーアナログ人でしたので、
最初の1年間は慣れるまでに悶絶と悪戦苦闘の連続、毎日毎日がモニターと睨めっこしていたので、妻(もっとスーパーアナログ人)からは「毎日毎日パソコンばかり見て何してるの?!」と小馬鹿にしたような小言ばかりを言われ続けました。
Macの出会いから1年が経過し、悶絶と混沌の日々を克服し何とか自分なりのイメージを表現できる程度には進歩しました。
その頃のイラストレーション業界でも次なる流行としてCGによるイラストレーション、フルデジタルでのイラストレーションが旋風を巻き起こしつつありました。
しかし、案の定と言いますか保守派小心者の私はフルデジタルのイラストレーションへの移行にも躊躇して、アナログの手描きのイラストレーションを並行して描いていました。
そうこうする内に、先述の入会した協会の人脈から次第に装画の依頼が舞い込むようになり、少しづつ装画の仕事も増えてきました。
私の装画の仕事の内容としては、ざっくりと分けて文芸書と実用・学術書の単行本・文庫とがありました。
その中の実用・学術書の装画は、今振り返るとMacとの出会いがなければ依頼を受ける事は皆無だったのではないかと考えています。
と言いますのは、私がMacを使うようになってからの予想もしていなかった驚きの出来事が、抽象表現が増えたことでした。
色やフォルムを瞬時にシュミレートできて、絵具を使わず手を汚すことなく短時間で完成に近づける!!
子供が初めて画材を与えられ次から次へとイメージを定着させる・・・呼吸をするようにイメージが湧き、一日に複数の作品が生まれました。
そして、その作品群が実用・学術書の装画にピタリとハマったのでした。
その理由としましては、実用・学術書の場合は使用目的上、具体的で固定したイメージではなく全体のイメージを深刻でもポップでもなく落ち着いた感じ、奇をてらわずにできたら普遍的であり、動より静が好まれるように思います。
文芸書と違って人物や静物などの写実的で具体的なモチーフの採用は、ハードルが高く採用される確率も少なくなる感じです。
と言うことは、具象より抽象的な表現となりますが、動より静が好まれる傾向からも躍動的な絵画のタッチを全面に出した情熱のほとばしったものは難しいようです。それに対してMacでの抽象表現は、ちょうどいい塩梅だった様です。
また、並行して描いていた具象のイラストレーションをデータ化しモニター上で抽象表現と掛け合わせる事で、新たな表現の幅を獲得することもできて、装画の他に短編・長編小説連載の挿絵の依頼も来るようになり徐々に安定した生活へと向かいました。
そうこうしている頃に、友人の画家から水彩画の講座を二件紹介されて始める事になりました。
受講生の皆さんは、趣味としての絵画を楽しむことを目的とした方々ばかりで、特にプロを目指して絵を描くのではないので、とてものびのびとした素敵な絵を描かれる方が大勢いらっしゃいました。
と言うか、イラストレーションとしても十分通用するような完成度のある絵が多々ありました!
かつてのイラストレーション界を席巻した「ヘタうま」に通ずる破壊力・インパクトがあり、やっと「ヘタうま」の魅力に気付いたなんとも今頃な私がいました。
そして、絵画としてもナイーヴアートとして十分に魅力のある素晴らしい絵ばかりでした。
そんな受講生の皆さんに触発された私は、Macで創作した抽象画をプリントアウトしてその上にオイルパステル、マーカー、マスキングテープ等身近にある物を使い気の赴くままに上描きすることを始めました。
そして上描きした抽象画をデータ化し具象画と並列し、ジークレー版画の作品としてまた一つ表現の幅を広げる事ができました。
グループ展に出品した十数万円のジークレー版画が、気に入って頂いた方から即決でご購入頂きました。
一方、受講生の皆さんはどうしてもご自身の絵に自信が持てない方、過小評価する方などなかなかご自身の作品の魅力を認識できずにおられるようでした。
やはり漠然とした先入観としてデッサン力、遠近法の良し悪し、筆ムラがある、色がはみ出している、色が濁っている等々、これらを克服した絵でないといけないと思い込んでおられるようです。
仮にこれらを克服した絵を想像すると、一点の曇りもない静謐な作品に仕上がりそうです。
勿論、最初からそのイメージで創作されているのであればなんら問題はありません、それがその方にとっての描きたいイメージであれば
それが最良だと思いますが、そうではなく現在のご自身の持っている表現力で自分らしい絵を描きたいという事であれば話は変わってくるように思います。
視点を変えて言うと、デッサン力、遠近法の良し悪し、筆ムラがある、色がはみ出している、色が濁っている等の描き方しかできないのを時間を掛けて無理に修正する必要はないのではないでしょうか。
それがその方の個性だと捉え、デッサン力・遠近法などの正確な再現力よりも主観を核にした表現を、平滑な塗りよりはリズミカルな感情こもる筆ムラのある塗りを、情熱が溢れて少々色がはみ出しても、侘び寂びに通じる濁った色彩を思いきり使っても良いのではないでしょうか。
好きこそ物の上手なれ、好きなことだからこそ集中力が生まれその力で、ご自身の予想を遥かに超えた作品が生まれます。
それは次の扉を開く鍵となるかも、コンペティションの入選やプロのイラストレーターとしての活動が身近に感じられる可能性があります!!
絵を鑑賞するのが大好き!!できたらオリジナルの作品を描きたい!! けど、、、自信も画力もなく下手だしダメだろうなぁ・・・と思っていませんか?
とんでもない、貴方の純粋な絵心を抑える事なく表現していくことに、何の躊躇がいりましょう!
是非、今のあなたの表現力を過小評価する事なく自信を持ってオリジナル作品を描いて頂きたいと真摯に思います。
そんな貴方の眠った才能が、夜空に灯る小さな輝きでも見知らぬ誰かにとっては大きな輝きとなることができます。
その小さな輝きがもっともっと輝けるようにと、寄り添いお手伝いができたら幸いです。